合格体験談 2025 感動合格の声
京都大学 文学部 合格
奈良女子大学附属中等教育学校 東出 昌和 さん
私は小学五年生の時ひのき塾に入塾し、幸運なことに奈良女子大学附属中等教育学校に合格することが出来た。その後、中学生になってからもひのき塾の集団授業に通い、途中からは個別指導を数科目のみ受ける方針に切り替えたが、今春第一志望としていた大学に進学する機会を頂いた。つくづく幸運なことである。お世話になったひのき塾への恩返しということで、拙い文章ではあるが小学生時代の勉強、そして塾について書いてみようと思う。
私が塾に通おうと思った動機は、「周りのみんなが塾に行っているから」という単純なものだった。家から15分ほどで通える距離だったという理由で奈良女子大学附属中等教育学校を目指すこととなった。こうして書いてみると積極性なく見える小学生の頃の自分。でも勉強は嫌いではなかった。特に好きだったのは算数。解法を考えて計算の果てに答えを導き出す、というプロセスが唯一無二の魅力だった。社会も好きだった。身近に国宝や重要文化財の沢山ある奈良という環境で育ったからかもしれない。しかし、自分が最初からこんな勉強好きだったわけではないだろう。塾に入るまでの私は適度に学校の授業を受け適度に遊ぶ普通の子供だったように思う。では、塾の何が私を変えたのか。それはひとえに、「仲間」と一緒に勉強するという環境だったのだろうな、と今になって振り返る。
塾に入って、私は「競う」環境に置かれた。小学校ではテストの点数で勝ち負けを決める必要はない。基本的な知識が身についていればそれでよい。しかし、塾は色々と競う機会がやってくる。クラス替えのテストはいかに上位に食い込めるかを考えながら受けてしまうし、授業に時折あるテストでは高得点の人を気にしてしまう。私が思い出深いのは社会の100問テストである。人物名や事件名などが一問一答形式で100問出題される。社会が好きだった私はいつも90点台を取れていたと記憶しているのだが、毎テストで2~3人、100点を取っている同級生がいた。しかもその中には複数回100点を取っている人もいたのである。おそらく当時の私は、やられた、悔しい、と思っていただろう。だが、この体験が私に勉強へのより大きな意欲をもたらしてくれたのだと思う。次は絶対に100点を取ると思って勉強し、結果的に前の自分より良い点数を取れた、というサイクルによって勉強というものが面白く思えてきたに違いない(結局、自分は最後まで100点を取れなかったように記憶している。それほどまでに満点は難しい)。このような体験は、周囲に仲間がいて、共通の課題に立ち向かうという正に塾のような環境でなければ実現しなかっただろう。特に小学校高学年という時期ではそう思える。
また今になって、私は塾で「学ぶこと」の尊さを意識しないまでも味わっていたのだと振り返るようになった。中学校、高校で私は、何か一つの事に秀でた魅力的な人に沢山出会ってきた。パーカッションが得意で芸大進学を考えている人、バレエを学びに何度もヨーロッパに行っている人、テニスで県大会ベスト3に入った人…。今挙げた人達は皆芸術やスポーツに秀でている人々だったが、国・算・英・社・理といった、言うならば入試的な分野に秀でた人達もまた魅力的に見えた。数学好きで自作問題を作っている人、古文好きが昂じて時折和歌を詠むようになった人など、勉強を突き詰めた人には人間的な面白さが詰まっていた。私は今、勉強して知識を得ることの意義は、何かに秀でた魅力的な人になる、ということにあると強く思う。小学生の頃の私は、100問テストで満点を取っていた同級生に「凄いな」と魅力を感じ、また自分もそう思われたいと感じていたに違いない。ただ入試のため勉強しているのでは気づけなかったであろう「学ぶこと」の意義を、塾に通う中で私は知り始めていたのではないかと今になって振り返る。そしてそれはやはり、「仲間」と一緒に勉強するという環境にいたからだと考えずにはいられない。
中学・高校生活を通じて、私は仲間と共に切磋琢磨し勉強や学校行事に打ち込んだ。仲間の優れた点を見て尊敬の念を抱き、自分の得意な事は何かと考えてそれを伸ばそうと努力することもあった。このような人間として成長する貴重な体験を、私は知らず知らずのうちに塾で経験していたのかもしれない。そう思えば、志望校に合格することが出来た以上に、塾に入ったこと自体が幸運だったのだと今思う。
長い間お世話になりました。本当にありがとうございました。